★のほほん田舎暮らし!★

自作のパンやケーキのメモと日々の何気ない小さなことを書いてます。

母の振袖

70年近く前。終戦間もないころ母は結婚しました。
そのころは、嫁ぎ先でお式を挙げるのが一般的だったのでしょうか????
その時、道中着として着たのが、この振袖だそうです。
輿入れの日の他に、1度くらい着たことがあるかも??・・・と母。




戦後の一番物のない時代に、お年頃の5人姉妹を持つ父親(私の祖父)は大変だったと思います。
母の数か月後に、すぐ上の姉(宝塚のケアハウス在住)も婚礼が決まっていたそうです。


その母の道中着が、この写真の振袖です。
実はこの振袖にはちょっとした小話があるのです。


この振袖。元は谷崎潤一郎の娘さんの物でした。
谷崎潤一郎+その女中さん一家が、母の里近くに疎開してたらしいです。
米一斗と谷崎家の娘の振袖とを物々交換したのです。


今の時代なら、米一斗の値段ではとても振袖など買える訳もないのですが・・・
そのころの食糧難を想像すると、よくありそうな話です。

1・2か月前、母から突然この話を聞いてビックリ@@
思いもかけない話題で、最初は母頭がおかしくなったのかと・・・????(゚Д゚;)


色々調べてみて、母の言うことに納得しました(^^ゞ


この振袖と一緒に真っ赤な長襦袢もセットです。
この白い半襟は、母が付け替えた物。
    
    
長襦袢に最初からついていたのがこの半襟
可愛らしい花柄🌼
    
白いのは、母が女学校の時に授業中に作った物だとか…
    



この着物のことがずっと気になっていて、記録に残しておきたくてここに写真を載せました。
ちょうど地元のTVで「谷崎潤一郎の研究会」を知った私の知り合いが、テキパキと???(^_^;)あちこちに電話を入れて、私に連絡を入れてはどうか・・・という風に関係者に話したのだそう。
えっ!! ちょっとビックリ@@


観光連盟の方から連絡があると言う事を小耳に挟みました。
この着物の行く末は・・・・はて???


私自身は、モチロン着ることはないのだけど、やはり手元に置いておきたい気がしている…
娘がいれば着てもらうのだけど…(^^;


※その昔、もう着ることも無いと思った母は布団にしようと思い、袖口を解きかけていました。10cmほど。
無事な姿で私の前に現れてくれて感謝です。