★のほほん田舎暮らし!★

自作のパンやケーキのメモと日々の何気ない小さなことを書いてます。

読書

細々と本を読み続けてます。
と言っても、ためになる本ではなく小説ばかり…
そんな中、時々ハウツウ物も混ざっていたり(^_^;)


たまに続きを読んだり、小説の合間にパラパラとめくったりしているのが、これ!

図書館になかったので、久しぶりに買いました。
**年を重ねた今だからこそできる衣・食・住・こころ 気持ちよい暮らしのコツ**

こういうの好きなんです。なかなか実行できない癖に、ツイツイ読みたくなってしまう自分がいます。
この手の書物に共通しているのは【少ない物で心豊かに暮らしていこう!!】
分かっているのに、なかなか実行に移すのが難しい。
だから、似たような内容の物を読むようになるのでしょうか…(-_-;)
いつになったら、そう言う生き方が出来るのか…こんなことを繰り返していると歳をとりすぎて、体力も気力もなくなってしまうのでしょう〜ね><


果物にも学問にも、そのときしか味わえない“旬”があるのです。
果物も学問も若いフレッシュさが命です。
ガツガツと何かに追い立てられたような生き方は若い人に任せ、50代からはこれまでの経験を世のため人のために生かすことを考えてみてはどうでしょうか。
その方が、後輩たちにとっても「ああなりたい」と思う生き方のお手本になります。


もちろん、人間は死ぬまで新しい知識をつけるための勉強や挑戦が大切です。
・・・・・
これまでの経験をベースに、たゆまない努力で、記録を伸ばし続けるその姿が、人々に勇気と感動を与えるのです。
・・・・経験を生かして何に挑戦するかは、あなたの心の問題です。

こういう内容の本は大事に持っていても意味ないので、知り合いに譲りました。
近年ご両親が無くなって、その遺品の整理が出来ないと言っている知り合いに・・・



そして、最近読んだもう一冊。

完本 うらやましい死に方

完本 うらやましい死に方

とても良い内容でした。
一般の方が寄せた身内や知り合いの最期を書いた物です。
生き方が千差万別のように、死に方も十人十色。
クスッと笑えるような最期。涙するような最期。なるほど〜と納得するような最期。えっ!っと驚くような最期…
突発的な事故死は別にしても、 『死に方を考えることは、どう生き抜くかを考えることにつながる』
いつ最期が来るのか分からないのに、そんなことを考える必要なし!…こういう考え方もあります。


死は平等にすべての生物にやって来ます。人間も例外ではないです。
何となく分かっていることでも、まだまだ自分の死を身近に感じないから、最期のことを考えるに至らないのだと思います。
私もその一人。
いつか死は来る。。。でもすぐじゃない。多分2・3年うちでもない。10年先かな?20年先かな?30年先かな????
何となくは感じている。
そんないつ来るか分からないことを考えてもしょうがない…!!のかも。
でも、自分の最期を考えることは、今の生き方を考えることにつながると思うのです。
『生き方が死に方を決める』のか『生き方で死に方が決まる』のか???


私の二人の叔母は余命宣告されてました。R叔母はハッキリ。Y叔母ははっきりとは聞いていなくても、自分で感じていたらしい。
R叔母は、自分で動けるうちにどの葬祭場で、どういう葬儀にして欲しいか、誰に知らせて欲しいか、遺品それぞれの行方・処分の仕方等々、自分自身で決めて最期を迎えました。
最後のお見舞いに病院へ行った時、R叔母と叔父(R叔母の夫)が決めた葬祭場へ案内してくれました。
叔母がまだ動けるうちに、地理的に分かりやすく駐車しやすい点等々考慮して決めたとか。
そして叔母のいない自宅へも連れて行ってくれ、そこでの日常を見せてくれました。
長らく地域の民生委員をしていたらしいR叔母は、身寄りのない方の葬儀の段取りとかも何度もしていたらしいです。
最後は自分のこともきちんとケリをつけて旅立って行きました。


Y叔母の場合は、詳しいことは聞いてませんが、家族にはどういう葬儀にして欲しいかと言う希望を話していたらしいです。
告別式では『故人の希望によりお香典等の金品はお断りします』
こういうメッセージも目につきました。
叔母は古い着物をリフォームで洋服や小物を作る組織のメンバーでした。
お見送りにいらした中に、とても目立つ一団が・・・@@
よく見るとそのメンバーの方々。
それぞれの黒い衣装が自作のドレス!
デザインは自由奔放って言葉がぴったり。遠目で見ると異様な一団(;^ω^)
お葬式なのにプッと笑えそうな場面でした。
その方たちのお蔭で、Y叔母らしい雰囲気のお葬式でした。



私の最期はどうなるんだろう???
どんな風に幕が下りるのだろう?
自分で演出できるのなら、どんな風にしたいのか??

なんて…想像を交えながら、ふとそんなことを考える時があります。