★のほほん田舎暮らし!★

自作のパンやケーキのメモと日々の何気ない小さなことを書いてます。

母の着物・・2・・

何日かぶりのお日様☀心ウキウキ! 気持ちいい〜〜♪〜〜♪!!
このところ、特に西日本は最強の寒気団に包まれ、記憶にないような低温の日々><
連日零下の日が3日続きました。
暖冬だったのが、一気に白一色の世界に早変わり(◎_◎;)
奄美大島では115年ぶりに雪だとか・・・\(◎o◎)/!




以前記事にした母の振袖に関する件で、地区の観光協会から二人の女性がみえた。
●要件:1.その着物を見せて欲しい&写真も撮りたい。
    2.その当時のことや経緯を聞きたい。
     
    

その着物は、母の父が谷崎氏から直接譲り受けた物らしいのだが、どうしてそういう流れになっていったのか?
母の父は、谷崎氏が疎開のため住んでいた住居の真向かいのような所に勤めていたらしい。
父親が毎日出向く場所に、たまたま谷崎一家がいたのがキッカケなのかも・・・と母の推測。
そのころ、母もその近くに勤めており、その当時の近辺の様子とか諸々を観光協会の女性から詳しく聞き取りをされていた。
母は耳が遠いので(補聴器は付けていても)私の役目は半通訳みたいな感じで…


母のその着物は谷崎氏の娘の物なのだが、その当時3度目の結婚をしていた谷崎氏には、その妻(松子)の連れ子がいたらしい。
その連れ子である谷崎氏の娘の着物が母の元にやってきたのだ。
多分母より10歳程度??年上だったのか??
実の娘ではないため、この点は不明。(※実の娘は1番目の妻との間に一人・鮎子)
着物を譲りうけた娘の名前が母の名前と似ている(同名ではない)ことが分かり、ちょっとビックリ@@

    
    


去年、戦後70年の節目と言う事で、地区の郷土資料館に谷崎氏ゆかりの品等を展示してあるらしい。
去年11月・12月ごろに特別展が開催された時、ちょうどその新聞記事を母が目にし、私にその着物のことをポロリと行ったのがすべての発端!!!
母から私へ。そして私が知り合いに。
その知り合いがたまたま観ていた地元のTVで谷崎潤一郎の特別展』を見たのが廻りまわって、何故か観光協会にまで知れたのだ。

     
    
   
   (母の振袖を着た叔母のお見合い写真)
今回の聞き取り、横道にそれたりしながら2時間半・・・
こんなに長くかかるとは思ってなかった母は、 「疲れた〜あんなことを言い出すんじゃなかった」と...
戦後から70年と言う時間は長すぎて、その時期直接谷崎氏にかかわったことのある人は、ほとんどが亡くなっていたり、調査しても行方が分からなかったり…
谷崎氏のこの疎開先での遺品も多々あるらしいが、着物が現状維持のまま残っているのは貴重な品だとか。。。。
『このままの状態で大事にして欲しい!』と、観光協会の方は言い残して終了となった。

    


母のこの着物の件から、 谷崎潤一郎と言う人物を身近に感じるようになった。
教科書の中に出てくる谷崎潤一郎とは、別の視点でみられることが不思議な気分である。
   
    (2016年1月読売新聞記事)
こういう小さな記事が目につくようになったのは、やはり母のこの着物のがあったから…。
そして、疎開先では地元の住民とはかけ離れた派手な生活ぶりであったと言うような点も含めて、文豪としてではなくもっと身近な人物のように感じるこのごろである。