★のほほん田舎暮らし!★

自作のパンやケーキのメモと日々の何気ない小さなことを書いてます。

「父と暮らせば」

●場  所:昭和23年 広島
●登場人物:父・竹造(美津江の恋の応援団長?)   娘・美津江(図書館勤務)

●二人の会話のみの劇形式の作品

父と暮せば (新潮文庫)

父と暮せば (新潮文庫)

実は父・竹造は亡くなっている。
父と娘の二人暮らしが、原爆により美津江は天涯孤独となる。
美津江のその時々の心情や状況によって、竹造は姿を現す。
 


    
    (朝焼け)

 

美津江は自分が生き残ったことに罪悪感を感じている。
一瞬に何万という人が亡くなったのに、自分だけが幸せになってはいけない。

あの時の広島では死ぬのが自然で、生き残るのが不自然なこと、生きてるのが申し訳ない・・・
そう思い続ける美津江の前に、突然現れる竹造。


竹造は 生き残った者の役目として、美津江に言う・・・
「あんなむごい別れがまこと何万もあたと言うことを、覚えてもらうために生かされている」

内容は原爆投下3年後の生き残った若い娘の葛藤を父のユーモアある会話と広島弁で、暗くならずに展開していく。

   
    
     (朝焼け)


一番心に残った場面。

夏休みのお話会は子供たちのものだと言う美津江に、竹造は「一寸法師」の昔話に、原爆資料をくるみこんではどうかと提案する。

やい、鬼。おんどれの耳くそだらけの耳の穴かっぽじってよう聞かんかい。わしが持っとるんはヒロシマの原爆瓦じゃ。あの日、あの朝、広島の上空五百八十メートルのところで原子爆弾ちゅうもんが爆発しよったのは知っちょろうが。爆発から一秒あとの火の玉の温度は摂氏一万二千度じゃ。やい、一万二千度ちゅうのがどげえ温度かわかっとんのか。あの太陽の中心温度が六千度じゃけえ、あのとき、ヒロシマの上空五百八十メートルのところに、太陽が、ペカーッ、ペカーッ、二つ浮いとったわけじゃ。頭のすぐ上に太陽が二つ、一秒から二秒のあいだ並んで出よったけえ、地面の上のものは人間も鳥も虫も建物も石灯籠も、一瞬のうちに溶けてしもうた。根こそぎ火泡を吹いて溶けてしもうた。屋根の瓦も溶けてしもうた。しかもそこへ爆風が来よった。秒速三百五十メートル、音より早い爆風。溶けとった瓦はその爆風に吹きつけられていっせいに毛羽立って、そのあと冷えたけえ、こげえ霜柱のような棘がギザギザギザと立ちよった。瓦はいまや大根の下ろし金、いや、生花道具の剣山。・・・・・・・・


先日母を二日連続病院へ連行。
1日目は内科と整形外科のいつものかかりつけ病院。
内科は血圧とコレステロールの薬を4種類。
整形外科は、骨粗鬆症の薬と痛み止めとで4種類。

2日目は皮膚科。
2週間前、体中の痒みで初めてかかって2度目。
初回で痒みの原因は、薬の副作用と言われたので、
1日目の病院で薬を半分に減らしてもらった。


「母と暮らせば」・・・(*´▽`*)
腕の力と車椅子の操作上手にならなくちゃ・・・私!