★のほほん田舎暮らし!★

自作のパンやケーキのメモと日々の何気ない小さなことを書いてます。

今日2月23日の日曜版(読売新聞)

今日の読売新聞の日曜版です。
『名言巡礼』のコーナーに【見返り求めぬ愛の物語】の見出しがありました。
この言葉に閃いたのが、1月?に読んだ塩狩峠


その記事にざっと目を通してみると、まさにその塩狩峠のことを書いてありました。
※以下読売新聞より

 白銀の大地を、走る、走る、走る。
列車が北海道和寒町塩狩峠に差し掛かると、エンジンが一段と大きくうなりを上げる。病院へ通うお年寄り。通学する高校生。みな無事に送り届けようと、うなり、登る。

 1909年(明治42年)2月28日、この峠で事故があった。峠を登る列車の連結が外れ、客車が逆走。乗り合わせていた鉄道職員の長野政雄(当時28歳)が、ハンドブレーキを操作中に線路へ転落、客車にひかれて死亡した。客車は峠を下って止まり、他の乗客は無事だった。

 作家の三浦綾子は、長野をモデルに、小説『塩狩峠』を書いた。主人公の永野信夫は、暴走する客車から身を投げ、自らを下敷きにして脱線の危機から乗客を救う。「このくり返しのきかない一生を、自分の生命を燃やして生きて行こう」。熱心なキリスト教徒だった永野は、死の前日に信者たちに呼びかけたその言葉通り、命を燃やして人々を救ったのだ。


・・・中略・・・

 数々の事件や不祥事が明るみに出たJR北海道は、再起の途上にある。もし、長野が現代の北海道に生きていたら、どうしただろうか?
・・・中略・・・
 塩狩峠の頂で、吹雪が列車の行く手を阻む。凍り付く冬の北海道で、人々を安全に運ぶ。なんて尊い仕事だろう。その誇らしい仕事を、心から愛して欲しいと思う。
  文・増田真郷


最近のJR北海道の多々ある出来事は、トップ経営陣の考え方が現れているのだろうか?とも思えます。
ここまで腐敗?したJR北海道にも、一握りでも長野政雄のような人が今もいると信じたい。
国鉄として君臨していたころの名残もあるのでしょうが、大勢の生命を預かっていることを忘れないで欲しいと、この記事を読んで改めて感じました。


いつか必ず塩狩峠に行きます!!
その時には、安心して生命を預けられるJR北海道になっているはずです☆☆☆☆☆☆