少しずつ日常を取り戻しつつあります。
ご心配いただいた皆様、ありがとうございます♪
★14日と22日の記事に、コメントのお返事をしました。
遅くなりましたが、良ければ覗いてみてくださいm(__)m
父の最期について、少し書き留めておきます。
先月(10月)20日過ぎ、往診でインフルエンザの予防注射を受けました。
その翌日から発熱があり、食べ物もほとんど飲み込むことが出来ない状態が続いていました。
今月11日夜から40度の高熱が2・3日続き、半日かけて点滴があったり(自宅で)しましたが、飲み込めない状態だったので、当然処方されている飲み薬も受けつけない状態が続いていました。
こういう状態が続く場合、入院していれば直接胃に穴を開けチューブで栄養補給をするのだそうです。
母はそういう処置や延命処置を望んでいなかったので、自宅で介護を続けていました。
亡くなった17日もデイサービスを受ける予定でした。
施設からの送迎も最短時間で行い、入浴も清拭に替えたり、様子を見ながら食事も少しずつ時間をかけて行います!と言う内容になっていたようです。
17日朝6時半、母が顔色が悪いのに気づいた時には、すでに亡くなっていました。
直ぐに呼ばれた私が父の手や体に触ると、まだ温かくって・・・・
そばで寝ていた母は、父が息を引き取る時、気づかなかった事を悔やんでいます。
以前から心臓が悪かったので、死因は『心不全』と言う事になりました。
穏やかな顔の父だったので、息を引き取る瞬間も、きっと苦しまずに逝ってくれたのだと思います。
母から聞いた事ですが、亡くなる前日、丁度ケアマネージャーの方が訪問中に、父がニコニコと度々笑顔を見せてくれたのだそうです。
ここ1・2年そういう事がなかったので、ケアマネの方と「不思議だね〜」なんて話したらしいです。
母曰く、 「今になって考えると、私にありがとうを言いたかったんじゃないかなぁ〜」
20年ほど前から、大病で度々の入院・手術の後、認知症が少しずつ進行して行き、徘徊などで大変な時期も長くありました。
2年ほど前からは寝たきり状態になり、ズット母が自宅介護して来ました。
介護保険が導入されてからは、週2回のデーサービスと1・2ヶ月に1度のショートステイ(2泊3日程度)を利用しながらの生活でした。
19日16:00
お通夜のために会場に向かう車(神霊車?)の中では、父のそばに座りました。
窓ガラス越しに見える空は真っ青で、真ん丸い雲がぽっかりぽっかり浮かんでいました。
にっこりと温かく微笑んでいる雲や山々の樹木に見守られながらの道中は、不思議に心静かな時間だったように思います。
20日11:30
斎場で父との最後のお別れをしました。
駐車場に戻りながら ふと振り返ると……
青々とした果てしなく続く深い空に、父が真っ直ぐ天に向かって旅立って行くのが見えました。
今ごろは、きっと好きだった釣りをしたり、カメラ片手に歩き回っている事でしょう〜〜
※ メモ書き
- 死亡・・・・・平成21年11月17日6:30
- お通夜・・・・平成21年11月19日19:00〜
- 告別式・・・・平成21年11月20日10:00〜
最後に・・・・
とてもステキな弔電がありました。
姪っ子(父の孫)のFちゃんからの電報でした。
『おじいちゃんが亡くなり、もうあの温かな姿に会えないと思うと とても悲しくなります。
心より安らかなお眠りをお祈りいたします。』
自分の言葉で書いたものって、不思議と心に響くものですね〜
この弔電の件で、妹からの後日談。
Fちゃんはお通夜にも告別式にも参列してくれたのですが、弔電も打ってくれていました。
妹 「おじいちゃんに弔電打っといてね。」
Fちゃん「チョーデンって何?」
妹 「お悔やみの電報の事」
Fちゃん「デンポーって???」
『電報』から説明しないといけないから、大変だった〜〜〜って。(^_^メ)
携帯もファックスも無いころの物なんですね! デンポーって(笑)
便利な世の中になりました。