★のほほん田舎暮らし!★

自作のパンやケーキのメモと日々の何気ない小さなことを書いてます。

ノアレザン

このところ寒い日が続いています。
北海道では積雪があったとか…
汗ばむような日が続いたと思ったら、急に寒くなったりで体がついていけない感じです><


灯油の残っていたファンヒーターをそのままにしていたので、昨日と今日は点けました。
目の前にストーブがあると、ついつい点けたくなってしまいます。
灯油もちょうど無くなっていいかな…なんて(^_^メ)


今日も朝は雲って寒かったのに、今は真っ青な空です。
明日は1日快晴になりそうですね。
皆さんの所はいかがですか?





ハード系のパンです!
ライ麦を入れた生地にクルミとレーズンをたっぷり練りこみました。
あっちとこっちにお裾分け…(^_^;)








ネットでこんな記事見つけました。
ちょっと興味深かったので、ここに載せておきます。

皇室と和服

                   
 ちょっと前の話になるけれど、3月11日に東京であった政府主催の東日本大震災追悼式にご臨席された皇后さまは、黒の和服姿だった。公式の場で皇后さまが和服をお召しになるのは珍しい。15日に共同通信宮内庁幹部の発言として配信した記事によると、心臓の手術後間もない天皇陛下が万一壇上で転倒しても、底が平らな草履なら皇后さまにとっさに動いてお支えいただける、と考えられたからだった。なるほど、そういうお気遣い、ご配慮があったわけである。

 皇后さまを始め公式の場での女性皇族の和装は珍しく、男性皇族にいたってはお目にかかったことがない。明治初年、世界に向かって日本が羽ばたく時に、明治政府が公式の場での服装は洋式にする、と決めたのがそもそもの始まりらしい。
 


 鹿鳴館で華やかな舞踏会が夜毎開かれ、憲法発布が近づいた頃、明治政府は欧州の宮廷儀礼に詳しい外国人を雇い入れ、その意見を取り入れて新時代の立憲国家にふさわしい宮中の儀礼や服装の改革を進めた。
 招かれてはるばるやってきたのはプロイセンの貴族、オットマール・フォン・モールで2年間、日本に滞在した。帰国後に書いた滞在記は最近、『ドイツ貴族の明治宮廷記』(講談社学術文庫)として出版されている。
 
 それによると、宮中における女性の服装については洋装にするか、それとも民族衣装を取り入れるかでモールと伊藤博文初代首相との間で衝突があった。
 民族衣装を取り入れるよう進言したのはモール。日本に来る前に儀典担当外交官としてロシアのペテルブルクやハンガリーブダペストなどに滞在した経験があった。そのモールに断固反対したのは伊藤伯だった。
 「日本においては中世はすでに克服された。もっと後の世紀になって日本が民族衣装に復帰することもあるやも知れない。しかし今や宮廷における女性の応接用衣服は洋装を厳守すると決定した」(金森誠也訳)。
 そんなやり取りがあって、「その後、宮中では皇后は出来るだけ国産の布地の服を召されるが、洋式のモデルに従って布地を加工し、仕立てるべきだと定められた」という。モールの記録からは宮中を先頭にして急激な近代化、欧風化を進める明治日本の意気込みが伝わってくる。


・・・以下省略