今日も春の陽気🎵 四月の気温だとか・・・
そして明日は「春の嵐」 目まぐるしく急変する天候。毎年こんな風だったのか??
友達からもらったキュウイフルーツジャムでマフィン。
スペシャルレシピを入手したので、即作ってみた。
しかし、作った後でレシピに油脂の追加発表があった。 残念!!!!
油脂ゼロのマフィン❕ これもいいかもね(^^ゞ
***************************
先日の新聞記事から・・・
【「ある」ことが当たり前になった写真】
この数年で、スマートフォンとSNS、さらにオンラインストレージ(記憶装置)が結びつき、多くの人が自分の手に負えないほど膨大な写真や動画を保存できるようになっていたのだ。
話題のスポットに行けば、自撮りをする人の姿が目に入り、じっくり鑑賞したい気持ちがそがれる。
人と人をつなぐように見えるSNSは、もろ刃の剣だと思う。おびただしい数の写真や情報が「ある」という意識が、自分にとって本当に必要なものとは何かを真剣に考え、選び取る行為を阻んでいたのではないかということだ。
「ある」ことが当たり前になった写真は、丁寧に見返されることもない。そんな時代だからこそ、もし自分のためだけの一枚の写真が存在するとしたら、それはどんな写真なのだろうかと、まだ「ない」写真について日々思いを巡らせている。
※写真評論家・竹内万里子 一部抜粋
大規模なものには・・・
後はLINEとかも…??????
かくいう私も2010年にFBを始めた。そのころはまだスマートホンが今ほど普及してなくて、FB登録者も今よりずっと少数だった。
その数年前から物珍しさからTwitterも始めていた。
東北の震災時にデマが飛んだりしたのをきっかけにTwitterは辞めてしまい、FBに乗り換えたわけだ。
そして一月ほど前、FBのアカウントも完全に削除した。
Instagramも全く手を出さず。
今現在はmail代わりに、LINEで知り合いと連絡を取り合うだけ。
私にとってのSNSって何だったのだろう❓❓❓❓
今更だが・・・フトそんな思いがよぎってしまう。
しかし、スマートフォンを持ってから、気楽に写真が撮れるぶん、確かにドンドン写真が増えている。
デジタルカメラでさえも増え続けた写真が、スマートフォンを持ってから更に増えた。日頃からどうにかしなくちゃ・・・と思うだけ。
本当に残しておくべき写真は何だろう???と思う事がよくある。
この記事を読んで・・・
身の回りの整理と同じように、写真とかスマートフォンの中味も整理時が来ているように感じた。
私が生まれたころは、カメラ自体も珍しく、カメラを持っている人は珍しかったのかも?
父はカメラ・写真が好きだったらしく、その昔は自分で現像していた。
生まれて間もない私の写真も父が撮って現像したらしい。幼児の頃の白黒写真がセピア色で大事にしまわれている。
デジカメやスマホで撮る写真は、「ま、一応撮っておこう、不要ならいつでも削除できるし❕」って・・・
私にとって、本当に大事な写真は何だろう・・・❓