明日は『大暑』
『桐始結花』(きりはじめてはなをむすぶ)
全国的に酷暑が続いている。
被災地に追い打ちをかけるようなこの熱波。
大阪にてこの暑さを体感。高原の風になれている私の体は、集中攻撃されるような強烈な日差しと湿度にヘトヘトだった。
しばらくネットから離れていた。
その間も、気力でパンやケーキを作っていた状況。
創作意欲もグーーンと低下で、この前のデコレーションとほぼ同じ(-"-;A ...アセアセ
予定より17日早い7月10日に息子の第二子が誕生した。
急きょ第一子の孫守りをするため5日間初めての体験をメイッパイしてきた。グッタリ(*_*)
この件は後日気が向いたら……
*********************
この切手シートで、5年ほど前に読んだ
- 作者: 垣根涼介
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2011/09/30
- メディア: 単行本
- クリック: 5回
- この商品を含むブログ (7件) を見る
全く縁もゆかりもなかった小笠原諸島。
これを読んだおかげで、小笠原諸島の特異な歴史。戦争に翻弄された島での住人の生活等興味深く読んだことを思い出した。
歴史と観光と日常を網羅したような著書だった。
復帰50周年を機会に、もう一度読んでもイイかな・・・・・・
小笠原諸島は1593(文禄2)年、信州深志城主の曾孫、小笠原貞頼により発見されたと伝えら れています。人が最初に定住したのは江戸時代後期の1830(文政13)年、欧米人と太平洋諸島民でした。その後、江戸幕府や明治政府の調査、開拓により 1876(明治9)年には国際的に日本領土として認められます。
大正から昭和初期には、亜熱帯気候を活かした果樹や冬野菜の栽培が盛んになり、漁業ではカツオ、マグロ漁に加え、捕鯨やサンゴ漁などを中心に栄え、人口も七千人余を数えるなど小笠原の最盛期を迎えました。 豊かで平和な島「小笠原」は、太平洋戦争により大きな転機を迎えることになります。昭和19年、戦局の悪化により、軍属等として残された825人を除く全島民6,886人が内地へ強制疎開させられました。
敗戦により、小笠原は米軍の占領下に置かれることになります。昭和21年、欧米系の島民に限り帰島を許されましたが、他の大多数の島民は故郷への帰島は許されず、慣れない土地での苦しい生活を強いられることになります。
昭和43年6月、小笠原諸島は日本に返還され、島民の帰島がようやくかなうことになりました。戦後23年間にも及んだ空白を埋めるために、国の特別措置法のもと様々な公共事業が推進され、新しい村づくりが進められています。
※小笠原村HPより抜粋